1949-08-01 第5回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号
我が國が終戰後いわゆる軍備を失いまして、新らしい國の建て方をしなければならないというような情勢に相成りました場合に、貿易立國というような趣旨からいたしまして、今少しく貿易関係の活動を自由にするというようなことが自然に頭を持ち上げまして、この際自由港市或いは自由港といつたような問題がいろいろ論議されたのでございます。
我が國が終戰後いわゆる軍備を失いまして、新らしい國の建て方をしなければならないというような情勢に相成りました場合に、貿易立國というような趣旨からいたしまして、今少しく貿易関係の活動を自由にするというようなことが自然に頭を持ち上げまして、この際自由港市或いは自由港といつたような問題がいろいろ論議されたのでございます。
あの状態を見まして、貿易立國というような方針を樹てておるときに、輸出入においてそれぞれ三〇%前後を占める横浜税関があの貧弱な施設で以て本当の仕事ができるかどうかということを疑つたのです。まあ大藏省においてはいろいろ考えておられると思いますが、日本の表玄関とも言うべき横浜税関の設備について、もう少し深切な施設をやるような工夫を一体しておられるかどうかということをお伺いしておきたい。
これにつきましては何としても輸出立國、貿易立國という点に重点が置かれておるのでありますが、資材、金融その他の面におきましても、この点に重点の置かれることは皆さん御存じの通りであります。
今こそ貿易立國の國是のもとに、祖國再建のために最善を盡さねばならぬ重大なときであります。このときにあたりまして、先般吉田内閣は、貿易振興の美名のもとに、貿易廳を内閣に移すやにわれわれは聞き及んだのでありますが、わが党は当時政府に対しまして、かかる措置は断固として排除すべきである。